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2006/06/23

目蒲線物語

東急目黒線と多摩川線が目蒲線と呼ばれていた頃、こんな歌がありました。

 ぼくの名前は目蒲線
 寂しい電車だ 目蒲線
 あってもなくてもど~でもいい目蒲線

これ、「目蒲線物語」という歌で、1980年代当時の目蒲線が東横線や田園都市線と比べて酷い扱いを受けていたということをコミカルに歌い上げています(と言っても、ほとんどがセリフなんですが・・・)。

目蒲線の父親は東横線、母親は田園都市線。両親は銀色の電車なのに、自分は緑色の3両編成。でも田園調布を走っていることに誇りとプライドを持っています。ところが、兄である池上線から衝撃の事実が語られます。実は自分たちは捨て子で、本当の父親は東横線じゃない、池袋から出ている「東武東上線」だと言うのです。

目蒲線は言います。「東京で一番陰気くさい東武東上線。駅が5つか6つ過ぎたらせーんぶ埼玉になってしまう東武東上線。忘れ物にクワやスコップが一番多いと言われている東武東上線・・・」。愕然としていますが、東武鉄道の関係者が聞いていたら激怒してしまいそうなセリフです。

そのあと実の母親だという「赤羽線」が登場。目蒲線と池上線を東急に引き取ってもらった経緯が話されます。涙なしでは語れない経緯がせつなく話されていきます。歌詞を全部引用するわけにはいかないので、興味があれば「目蒲線物語」で検索してみれば、きっと見つけることができます。

さて、時代は21世紀。目蒲線もすっかり出世して都心直通のルートを担っています。「赤坂も走ってみたい」と言っていた夢がようやくかなったわけです。そして、田園都市線の方に目を向けてみれば、あの東武の電車が乗り入れていますし、近い将来東横線にも乗り入れてきます。「一番陰気くさい」と言われてしまった東武東上線の電車が横浜の都心部まで乗り入れてくるのは、あまり想像したくはないのですが(苦笑)・・・。

時代が変われば、走る電車も変わっていくというわけですね。

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コメント

この歌を唄った人物は、かつて田園調布の酒屋で働き、かのN嶋S雄氏の家にも配達に行っていたという。(実話)

投稿: 雲葉@横浜ジプシー | 2006/06/24 00:27

>雲葉さん
そういえば、この歌を唄っていた人物はいまどうしているんでしょうかねぇ?
かつてはお笑い芸人だったらしいですが、今となってはひっそりとくらしているのかも知れませんね(笑)。

投稿: つばさ | 2006/06/25 21:14

 そのかつての目蒲線ですが、当方のブログに武蔵小山付近の地下化の話を書きました。
 秋のダイヤ改正ではいよいよ急行が走ると聞きます。変われば変わるものですね。

投稿: おおとり | 2006/07/16 22:59

>おおとりさん
なんか、ずっと工事しているって感のあった旧目蒲線も、ようやく終わりが見えてきたという感じですね。
駅の様子が様変わりしても、街は庶民的な雰囲気が健在なんでしょうね。

投稿: つばさ | 2006/07/16 23:41

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